フィルムは記録する

滿洲國皇帝陛下御訪日

満洲国が帝国に移行してから1年後の1935年に挙行された皇帝溥儀の日本訪問の記録で、冒頭に3月29日の送別の宴への皇帝御臨場を伝えたあとは、4月2日の新京出発から同月24日の広島県の宮島訪問までの旅程が収められている。中でも4月6日の横浜入港から、前年に天皇の名代として満洲を訪れた秩父宮雍仁親王が御召艦に出迎えに行く様子、御召列車で東京駅に到着した溥儀と昭和天皇との対面、無蓋の馬車による鹵簿、そして9日に昭和天皇と溥儀が臨んだ代々木練兵場での観兵式と15日に東京駅を発つまでの動静に多くの場面が費やされている。15日に東京を発った一行は京都、奈良、大阪、神戸、そして宮島を訪れたのち日本を離れた。要所要所に見られる望遠撮影に特徴があり、中間字幕は日中2か国語で併記されている。

作品詳細

作品番号
ST000307
映画題名
滿洲國皇帝陛下御訪日
映画題名ヨミ
マンシュウコクコウテイヘイカゴホウニチ
製作年月日
1935
時間(分)
38
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
製作会社
南満洲鉄道株式会社弘報係
スタッフ
芥川光蔵[監督]
検閲番号等
元素材には「B459」と判読できる穿孔跡があるが、検閲時報では合致する記録は確認できていない。元素材はロシア・ゴスフィルモフォンド保管のフィルムから作製されており、この穿孔跡は満洲における映画検閲の痕跡の可能性が考えられる。なお、参考文献(『關東局施政三十年史』)によれば、遼東半島南部の関東州では1922年7月の「興行及興行場取締規則」が公布されて演劇の脚本と映画のフィルムおよび説明台本は警察署の検閲を受けることとなり、さらに1935年4月には「活動寫眞フイルム檢閲規則」が制定されて大連警察署構内に関東局フイルム検閲所が設置されて専任の技術員が配置されたという。
フィルム映写速度
24
備考
元素材は、2004年度にロシア・ゴスフィルモフォンドより入手した35㎜不燃性ポジフィルム。
製作会社および監督は参考文献(山内友一および村治夫)に基づいて判断した。村は「昭和十年の春、滿洲國皇帝陛下御訪日の記錄を滿鐵が謹作したのであるがそのとき約十日ばかり芥川さんの助手として關西へお供した」(55頁)と記す。ただし、同文献中の芥川の作品経歴に含まれる『滿洲國皇帝御訪日』は1巻で、本作とは題名が少し異なるとともに4巻ある元素材との巻数の差が大きい。
参考文献
「日滿兩國の友好愈々固し 滿洲國皇帝陛下の日本御訪問 曠古の御盛儀・善隣兩國皇室の御交驩」(『滿洲國現勢 康德三年版』滿洲國通信社、1936年)1-11頁
『關東局施政三十年史』(關東局、1936年)804頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1878321/1/449
山内友一「滿洲映畫發達史稿 〔上〕」(『滿蒙』第二十年七月號、1939年)55-56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/3564773/1/31
村治夫「芥川光藏氏を悼む 映画靑年・芥川さん」(『文化映画』第二卷第八號、1942年8月)55-57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/7950049/1/28
『昭和天皇実録 第六』(東京書籍、2016年)701-706、710頁