フィルムは記録する

葛原冷藏船 豊光丸尼港行

現在の食生活に欠かすことのできない鮮魚冷凍事業のパイオニアとして、日本の食品冷凍の歴史にその功績を讃えられる葛原猪平が起こした葛原冷蔵株式会社のPR映画。冷凍機を備えた同社の豊光丸が鮭の積み取りのための函館港から樺太の尼港(ニコラエフスク)に向かう航行の記録だが、元素材は1巻目のみの不完全版で、豊光丸が尼港に入るためにランチ(小型船)で水先案内人を迎えに行く場面で終わっている。メインタイトルが出る前に葛原社長自らカメラに向かって演説する場面が長々と続く構成が独特である。参考文献(『水産人物百年史』『日本冷凍史』)によれば、渡米して大学に通い現地の貿易会社で働いた葛原猪平は帰国すると貿易事業に従事するが、第一次大戦中に再渡米して食品の冷蔵・冷凍事業を視察するとともに食糧問題の重要性を認識するにいたった。食品の冷蔵・冷凍事業に対する葛原の志については演説場面の中間字幕に詳しい。海に囲まれた日本の豊かな水産資源と冷蔵・冷凍技術を結び付けて安定的な食糧供給を目指した先進性のある事業だったが、冷凍魚に対する一般的な理解が進まず販路には苦心し、大型冷蔵船を次々に建造する積極的な事業展開も裏目に出ることになった。東亜キネマを設立した八千代生命保険から葛原が投資を受けていたことが本作の製作に結びついたと考えられる。しかし1925年10月に八千代生命保険が葛原冷蔵と東亜キネマを含む貸付への疑義など5項目について商工省から指摘された(参考文献『東京朝日新聞』『本邦生命保險業史』)ことから、資金繰りの厳しかった葛原冷蔵は1926年の初めには破綻を迎えることになった。なお、葛原が冷蔵庫を建設して食品冷蔵事業に乗り出した現在の宮城県気仙沼市と北海道の森町には、それぞれ「冷蔵庫創業の地」と「日本冷凍食品事業發祥之地」の各記念碑が設置されている。

作品詳細

作品番号
ST000282
映画題名
葛原冷藏船 豊光丸尼港行
映画題名ヨミ
クズハラレイゾウセンホウコウマルニコウコウ
製作年月日
1924-1925
時間(分)
13
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
製作会社
東亜キネマ株式会社
スタッフ
東亜キネマ株式会社[撮影]
フィルム映写速度
16
備考
元素材は、2004年度にロシア・ゴスフィルモフォンドより入手した35㎜不燃性ポジフィルム。
製作年については、東亜キネマ設立が1923年12月であること、中間字幕に「葛原冷藏船豊光丸は八月中旬鮭積取の爲・・・」とあり、1926年初めには葛原冷蔵が破綻したことから、1924年もしくは1925年と推定される。
参考文献
菅谷子賴[編]『日本汽船件名錄 増補改訂第十版』(日本汽船件名錄發行所、1924年)「件名」156頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/945989/1/314
「商工省の手で發かれた八千代生命の内情」(『東京朝日新聞』1925年10月21日付)7面
保險銀行時報社編『本邦生命保險業史』(1933年)「會社及統計篇」228-230頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1280550/1/247
「葛原猪平 冷温流通に新機軸」(岡本信男『水産人物百年史』193-202頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/11941421/1/99
「24.3.2 葛原猪平の食品低温流通計画」(日本冷凍史編集委員会[編]『日本冷凍史』日本冷凍協会、1975年)492-496頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/12684315/1/260
「日本初の「冷蔵庫創業の地」石碑復活 気仙沼」(朝日新聞)https://www.asahi.com/articles/ASQCC6QZNQBLUNHB00S.html
「日本冷凍食品事業発祥の地碑」(もりまちロケーションマッチ)https://mori-locationmatch.net/refrigerationbusiness/