フィルムは記録する

挙國一心

康徳3(1936)年7月23日から27日まで開催された満洲帝国協和会の全国連合協議会の記録。5日間に亘る協議会の経過を伝える構成で、中間字幕は日中二か国語で表示される。康徳は溥儀が皇帝に即位した1934年3月1日をもって改められた満洲帝国の元号。在満日本人による満洲青年同盟などを中心に結成された満洲国協和会は満洲国建国直後の1932年7月に発会式が執り行われ、当初は王道の実践をはじめとする理想を謳っていたが、満洲国の日本植民地化が進行するにつれてその性格を変え、政府と一体化した政治組織体となってゆき、満洲国が帝政に移行すると満洲帝国協和会となった。参考文献(山内友一)によれば、協和会では発会式の模様を記録するなど結成当初より映画に着目し、1933年には強化宣伝の目的で映写班を設置して地方巡回上映を行うとともに上映技術者の養成を始め、1935年からは16㎜による製作体制を整えて記録撮影も行っていた。参考文献(岡部牧夫)によれば、連合協議会は各地域や各職域の代表者を集めてその要望や提案を討議するもので、議会に代わり民意を吸収する満州国特有の制度とされたが、「協議会の決議は各級政府に対し拘束力をもたなかった」という。

作品詳細

作品番号
ST000278
映画題名
挙國一心
映画題名ヨミ
キョコクイッシン
製作年月日
1936
時間(分)
12
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
製作会社
満洲帝国協和会
フィルム映写速度
16
備考
元素材は、2002年度にロシア・ゴスフィルモフォンドより入手した35㎜不燃性ポジフィルム。
参考文献
山内友一「滿洲映畫發達史稿 〔上〕」(『滿蒙』第二十年七月號、1939年)67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/3564773/1/37
山室信一『キメラ 満洲国の肖像』(中央公論社、1993年)199-202頁
岡部牧夫「第8章 協和会と「五族協和」 1「満洲国」協和会」(植民地文化学会、中国東北淪陥14年史総編室[編著]『日中共同研究 「満洲国」とは何だったのか』小学館、2008年)216-219頁