赤石岳
南アルプスの長野県と静岡県にまたがる赤石岳登攀の記録で、参考文献(『「岳人冠松次郎と学芸官中田俊造―戦前期における文部省山岳映画―」展示解説書』36頁、69頁)によれば、撮影は1929年5月11日からの十数日間にわたっておこなわれたという。元素材にはメインタイトルはあるが、中間字幕は1箇所のみでエンドタイトルも無い不完全版で、同文献(36頁)が指摘するように「編集途中の映像」である可能性が考えられよう。完成版の字幕と考えられる内容は同文献(62頁)および参考文献(『文部省敎育映畫時報 1 昭和四年九月』)で確認できる。前半では登山隊一行の乗る天竜川下りでの躍動的なカットや、下船後に訪れる麓の村落の鄙びた風景と人々の暮らしぶりを美しくとらえた画面が印象を残す。そのあと一行は渓流や森林帯を通り、雪の積もった斜面を抜けて赤石岳を目指して進む。頂上到達後に下山した一行は大河原の山村に至り山々の遠景カットで終わる。なお、本作では日活出身のキャメラマンで、上海での活動を経て前年に一時的に帰国していた川谷庄平が白井茂とともに撮影を担当しており、それぞれの個性が作品にどのように反映されているかを考えることも興味深いだろう。
作品詳細
- 作品番号
- ST000271
- 映画題名
- 赤石岳
- 映画題名ヨミ
- アカイシダケ
- 製作年月日
- 1929
- 時間(分)
- 23
- サウンド
- サイレント
- カラーの種類
- 白黒
- 製作会社
- 文部省
- 配給会社
- 文部省
- 配給年月日
- 1928.8.[頒布]
- スタッフ
- 冠松次郎[指導]白井茂、川谷庄平[撮影]山崎眞一郎
- 検閲番号等
- 1929年10月26日
D12891、日、實、宣、其他、赤石岳、2巻、548m、文部省(製作者、申請者とも)免 - フィルム映写速度
- 18
- 備考
- 元素材は、1971年度に文部省より管理換された35㎜不燃性マスターポジフィルム。
検閲時報の記載と比べると、元素材である上述のフィルムの尺長は474.884mで約73m短い。
スタッフ名は参考文献(『「岳人冠松次郎と学芸官中田俊造―戦前期における文部省山岳映画―」展示解説書』)による。 - 参考文献
- 「文部省作品「赤石岳」完成」(『國際映畫新聞』第二十九號、1929年)61頁
「活動寫眞「フイルム」頒布」(『官報』第七八〇號、1929年8月5日)141頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/2957246/1/7
「新作映畫紹介」(『國際映畫新聞』第三十一號、1929年)45頁
「山岳に關する映畫の内容梗槪」(文部省社會敎育局編『文部省敎育映畫時報 1 昭和四年九月』、1929年)1-3頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1148947/1/3
文部省『敎育映畫硏究資料 第十八輯 本邦映畫敎育の發達』(1938年)「文部省製作映畫年度別」68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1451797/1/39
白井茂『カメラと人生―白井茂回顧録―』(ユニ通信社、1983年)58-60頁
北区飛鳥山博物館[編]『岳人冠松次郎 その生涯とアルピニズム』図録(北区飛鳥山博物館、2000年)30-32頁
『「岳人冠松次郎と学芸官中田俊造―戦前期における文部省山岳映画―」展示解説書』(北区飛鳥山博物館、2014年)36-43頁、62頁、69頁