フィルムは記録する

黒部峡谷探検

『日本アルプス縱走 烏帽子嶽より燒嶽へ』(ST000186)に続く文部省製作の山岳記録映画。1925年に黒部川下廊下を上流へと辿る完全溯行に初めて成功した登山家の冠松次郎と、『關東大震大火實況』などで知られる名キャメラマン白井茂が協働した最初の作品で、こののち二人は『劔岳』『赤石岳』(ST000271)『鹿島槍ヶ岳と下廊下』(ST000263)『尾瀬』でも撮影行を共にした。参考文献(『「岳人冠松次郎と学芸官中田俊造―戦前期における文部省山岳映画―」展示解説書』)によれば本作の撮影時期は1927年7月末から8月上旬にかけてという。冒頭近くに黒部峡谷の位置と登攀の行程をたどる地図が示されるほかはメインタイトル、中間字幕、エンドタイトルが無い不完全版で、同文献が指摘するように「編集途中の映像」である可能性が考えられよう。完成版の字幕と考えられる内容は同文献(61頁)もしくは参考文献(『文部省敎育映畫時報 1 昭和四年九月』)で確認できる。元素材は河原の風景カットがフェイドアウトして終わるが、参考文献の記述の最後は「黑部峽谷探險は立山温泉に終つてその收穫をのせて汽車は黑部川の河口を横切り都に向かつてひた走りに……」となっていることから、完成版の終結部は元素材と異なっていた可能性も考えられる。

作品詳細

作品番号
ST000270
映画題名
黒部峡谷探検
映画題名ヨミ
クロベキョウコクタンケン
製作年月日
1927
時間(分)
24
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
製作会社
文部省
配給会社
文部省
配給年月日
1927.12.[頒布]
スタッフ
冠松次郎[指導]白井茂[撮影]藪下泰次、山崎眞一郎、、吉澤庄作、後閑文之助
検閲番号等
1928年2月13日
C1198、日、實、風、黑部峽谷探險、2巻、597m、文部省(製作者)、東京シネマ商會(申請者)、新
同日に同題名のフィルムの検閲記録が上記を含め2件ある。
フィルム映写速度
18
備考
元素材は、1971年度に文部省より管理換された35㎜不燃性マスターポジフィルム。
検閲時報の記載と比べると、元素材である上述のフィルムの尺長は499.272mで約98m短い。
スタッフ名は参考文献(『「岳人冠松次郎と学芸官中田俊造―戦前期における文部省山岳映画―」展示解説書』)による。
参考文献
「黑部峽谷探檢映畫 文部省と國民新聞社の競爭撮影」(『國際映畫新聞』第二號、1927年)22頁
「活動寫眞「フイルム」頒布」(『官報』第二九二號、1927年12月17日)479頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/2956752/1/12
「山岳に關する映畫の内容梗槪 黑部峽谷探險 全二卷」(文部省社會敎育局編『文部省敎育映畫時報 1 昭和四年九月』、1929年)4-7頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1148947/1/5
文部省『敎育映畫硏究資料 第十八輯 本邦映畫敎育の發達』(1938年)「文部省製作映畫年度別」67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1451797/1/38
東京国立近代美術館フィルムセンター編『FC フィルムセンター11 日本の記録映画特集―戦前篇⑴』(東京国立近代美術館、1973年)
 白井茂「記録映画について」6-7頁
 「作品解説 番組5」12頁
白井茂『カメラと人生―白井茂回顧録―』(ユニ通信社、1983年)58-60頁
北区飛鳥山博物館[編]『岳人冠松次郎 その生涯とアルピニズム』図録(北区飛鳥山博物館、2000年)30-32頁
北区飛鳥山博物館[編]『「岳人冠松次郎と学芸官中田俊造―戦前期における文部省山岳映画―」展示解説書』(北区飛鳥山博物館、2014年)22-29頁、60-61頁、67頁