フィルムは記録する

飛行船による震災前の京浜

神奈川県追浜の横須賀海軍航空隊を飛び立った飛行船が記録した関東大震災前の東京の姿。中間字幕で示される地名や建築物等は、江の島、横浜の桟橋、正金銀行、品川の八ッ山橋、品川駅、旧台場、両国橋、国技館、被服廠跡、浅草観音堂、十二階及附近、上野公園、不忍池、日本橋、三越、新橋駅附近、新橋、銀座、丸の内、東京駅前、九段靖国神社、明治神宮など。撮影時期は1923年7月とされており、約2か月後に発生した震災のために図らずも被災直前の東京、横浜を捉えた貴重な記録となった。参考文献(『映像文化の担い手として 佐伯永輔「ヨコシネ」の歩んだ70年』『写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代―』)によれば、横浜シネマ商会(現・ヨコシネディーアイエー)創業者の佐伯永輔は、その当時横須賀海軍航空隊附の海軍将校で自ら16mmカメラを回したという山階宮家の三代武彦王とは映画製作を通じて親交があり、本作の撮影が実現したという。なお、『山階宮御所藏映画 大正十二年五月』(ST000059)は本作と撮影時期が近い。登場する飛行船は海軍の第三航空戦(SS式三号飛行船)で、イギリスのビッカーズ社製の第一飛行船(軟式エスエス航空船)が1922年7月に格納庫内で爆発したあと、その設計図と予備部品を基に国内で製作され1923年4月に完成した同じ型の飛行船(参考文献『航空70年史―1 ライト兄弟から零戦まで 1900~1940』『日本飛行船物語』)で、操縦にあたったのは、のちに神風特別攻撃隊の創設にかかわる大西瀧治郎(当時大尉)だったという(参考文献『私の歩んだ道』『映像文化の担い手として 佐伯永輔「ヨコシネ」の歩んだ70年』8頁)。

作品詳細

作品番号
ST000244
映画題名
飛行船による震災前の京浜
映画題名ヨミ
ヒコウセンニヨルシンサイマエノケイヒン
製作年月日
1923-1925
時間(分)
13
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
製作会社
横濱シネマ商會
スタッフ
上野幸清[撮影]
検閲番号等
1925年9月17日
2422、日、實、風、飛行船よりの東京、1巻、231m、横濱シネマ商會(製作者)、アクメ商會(申請者)、新
1931年6月23日
F6944、日、實、風景、飛行船による震災前の東京、1巻、260m、岡本洋行(製作者、申請者とも)、免
フィルム映写速度
18
備考
元素材は、1972年に収蔵した16mmポジフィルム。
メインタイトルに続き「賜天覧 天皇陛下 皇后陛下」「賜う 攝政宮殿下」「賜 山階宮殿下 御買上之光榮」「海軍省 横須賀鎮守府 東京湾要塞司令部 御檢閲濟」のタイトルが入る。
題名は元素材のメインタイトルによる。検閲記録の題名とは異なるが、参考文献(『横浜シネマ商会の業績 映画作品目録1923-1945』)によれば、本作はほかに、『東京見物』『旧帝都の俯瞰』『帝都訪問』など複数の題名があり、検閲記録の『飛行船よりの東京』もそれに加えられる可能性が考えられる。
スタッフは参考文献(『映像文化の担い手として 佐伯永輔「ヨコシネ」の歩んだ70年』8頁)による。
参考文献
『航空70年史―1 ライト兄弟から零戦まで 1900~1940』(『世界の翼・別冊』朝日新聞社、1970年)42頁
佐伯永輔、志村正順 [対談]『私の歩んだ道』(『社報 昭和四十二年九月号別冊』横浜シネマ現像所、1991年再版[初版は1967年])34頁
『映像文化の担い手として 佐伯永輔「ヨコシネ」の歩んだ70年』(ヨコシネディーアイエー、1995年)8-9頁
横浜市神奈川図書館[編]『横浜シネマ商会の業績 映画作品目録1923-1945』(横浜市神奈川図書館、1998年)25、31,71-72頁
秋本実『日本飛行船物語』(光人社、2007年)282-285,295頁
学習院大学史料館[編]『写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代―』(吉川弘文館、2008年)53、293頁