フィルムは記録する

下關

下関の様々な名所を紹介する作品。旧下関駅に始まり、関釜連絡船、列車を積んで門司と行き来した関門連絡船、安徳天皇を祀り平家一門の供養碑もある赤間宮(赤間神宮)と現在も行われている女臈参拝(先帝祭上臈参拝)に続いて、日清講和交渉で来日した清側の全権大使李鴻章が滞在した引接寺と会議が行われた春帆楼が紹介され、春帆楼の由来と講和会議の行われたことを漢文で記した記念碑の除幕式の様子が描かれる。終わり近くにはユニークな書体の字幕とともに大日本報濟會が紹介される。トップは欠落している

作品詳細

作品番号
ST000237
映画題名
下關
映画題名ヨミ
シモノセキ
製作年月日
1924
時間(分)
13
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
製作会社
大日本報濟會
スタッフ
豊田精一(下関市王司町 黒川寫眞舘)[撮影]
フィルム映写速度
16
備考
元素材は、2006年度に萩博物館所蔵の35mm可燃性ポジフィルムより不燃化した35㎜インターネガより作製した35㎜上映用ポジフィルム。
元素材作製に使用した萩博物館所蔵の35mmポジフィルムのフィルム缶の缶表には「下關(抄)」の表記があることから本作の題名を『下關』とし、同じく「大日本報濟會」の表記があることから製作会社とした。
参考文献の各記述によれば、藤津良藏は山口県出身で藤津總本店を下関で興し、小間物化粧品卸商として成功した当時の多額納税者で、「社會思想善導」のため1922年に「報恩済世」を主義とする大日本報濟會を設立したという。参考文献(『最新業界人事盛衰錄』)に掲載された肖像写真から、大日本報濟會の紹介を含む各場面に登場する恰幅のいい男性が藤津良藏と考えられる。
参考文献
『人事興信錄 第八版』(人事興信所、1928年)フ70頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/2127124/1/1378
中西利八[編]『最新業界人事盛衰錄』(通俗經濟社、1931年)フの部29頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1208651/1/937
深井新之助[編]『下關經濟年表』(深井新之助、1940年)68頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1456780/1/39