嗚呼乃木將軍
陸軍大将として日露戦争で旅順攻撃の指揮を執った乃木希典は、明治天皇の大喪儀が執り行われた1912年9月13日に静子夫人とともに自ら命を絶ち、同月18日に青山斎場で葬儀が行われた。本作では乃木邸門前とみられるカットに始まり、乃木邸から青山斎場に向かう葬列と沿道を埋めた群衆を捉えた場面を中心に構成されている。参考文献(『大正の記憶』)には乃木将軍の柩は砲車に、静子夫人の柩は黒塗りの馬車にそれぞれ載せられたとあり、本作の画面からも兵士たちが牽く台車に続いて2頭立ての馬車が通過する様子が確認できる。最後のカットは白木の墓標が建てられた青山霊園の墓所。フレーム中央上下に見られる半長円形は各フレーム間に穿孔されたパーフォレーションの跡である。
作品詳細
- 作品番号
- ST000234
- 映画題名
- 嗚呼乃木將軍
- 映画題名ヨミ
- アアノギショウグン
- 製作年月日
- 1912
- 時間(分)
- 4
- サウンド
- サイレント
- カラーの種類
- 白黒
- 製作会社
- 家庭活動寫眞會
- スタッフ
- 家庭活動寫眞會[謹寫]
- フィルム映写速度
- 12
- 備考
- 元素材は、2017年度に一般社団法人京都映画芸術文化研究所所蔵の17.5㎜ポジフィルムより作製した35㎜インターネガフィルムを経て作製した35㎜上映用ポジフィルム。この35mmプリントは2018年度の上映企画「国立映画アーカイブ開館記念 映画にみる明治の日本」において上映されている。
参考文献(『大日本帝國商工信用錄』)には「春翠堂曾根眞文」と「家庭活動寫眞會」を併記した営業案内が確認できる。参考文献(佐藤洋)によれば、家庭活動写真会は東京神田で写真機材を扱う曾根春翠堂の曾根眞文が小型映画・アマチュア映画の普及を目指して設立。曾根は自社でも輸入販売していたドイツのエネルマン社の17.5mmフィルム規格の小型撮影機「キノ」をモデルに、「キネオカメラ」という名の小型撮影機を製作して1911年に発売し、同機の購入者が自動的に家庭活動写真会の会員になったという。また曾根は家庭用の映写機し、自社製作を含む上映用フィルムとともに販売したとあることから、本作と『明治天皇 御大葬餘影』(ST000235)も販売用に製作された可能性が考えられる。
なお、製作年は撮影年とした。 - 参考文献
- 博信社編纂『大日本帝國商工信用錄 東京之部』(博信社、1912年)144頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/945909/1/80
權田保之助『活動寫眞の原理及應用』(内田老鶴圃、1914年)352-355頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/951523/1/190
学習院大学史料館[編著]『写真集 大正の記憶―学習院大学所蔵写真―』(吉川弘文堂、2011年)25-26頁
佐藤洋「おもいを尊重する工夫 最古の家庭用映画撮影機・キネオカメラについて」(『共立女子大学文芸学部紀要』第68集、2022年)共立女子大学文芸学部、109-141頁(共立女子大学リポジトリ)https://kyoritsu.repo.nii.ac.jp/records/3532