輝く昭和聖代 御大禮の盛儀[関西活動寫眞業組合版]
1928年11月に京都を中心に行われた昭和天皇の即位式と一連の儀式を伝える時事映画で、皇居出発から帰還までひと月近くにわたるため、日程に準じて複数に分けて製作され順次公開された。御大礼謹写団として撮影されたフィルムは「輝く昭和聖代 御大禮の盛儀」の同一題名で加盟団体ごとに作品にまとめられる形をとったため、必然的にいかに早く広く公開するかの競争が生じたが、新聞社は無料公開とするなど公開方法のすみ分けはできていた。元素材は関西活動写真業組合によって製作された複数の作品が1本にまとめられているが、フィルム上に複数の検閲番号の穿孔跡があることから、総集篇の意図をもって製作されたというよりは、検閲を通過した上映用ポジフィルムが何らかの理由で繋ぎあわされた可能性が考えられる。また、東京への帰還と大正天皇陵の親謁の場面が含まれておらず、エンドは欠落している。
作品詳細
- 作品番号
- ST000224
- 映画題名
- 輝く昭和聖代 御大禮の盛儀[関西活動寫眞業組合版]
- 映画題名ヨミ
- カガヤクショウワセイダイゴタイレイノセイギ[カンサイカツドウシャシンギョウクミアイバン]
- 製作年月日
- 1928
- 時間(分)
- 32
- サウンド
- サイレント
- カラーの種類
- 白黒
- 製作会社
- 御大禮謹冩團、関西活動寫眞業組合
- スタッフ
- 関西活動寫眞業組合[謹寫]
- 検閲番号等
- 関西活動寫眞業組合版の『輝く昭和聖代 御大禮の盛儀』は検閲時報では第五報まで確認でき、各報の最初の検閲記録は以下の通りである。
1928年11月7日
礼241、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第一報、1巻、231m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、新
同日に同題名のフィルムの検閲記録が上記を含51件ある。
1928年11月8日
礼629、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第二報、1巻、121m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、新
同日に同題名のフィルムの検閲記録が上記を含6件ある。
1928年11月13日
礼1875、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第三報、1巻、123m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、新
同日に同題名のフィルムの検閲記録が上記を含95件ある。
1928年11月17日
礼2034、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第四報、1巻、98m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、新
同日に同題名のフィルムの検閲記録が上記を含18件ある。
1928年11月26日
礼2243、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第五報、1巻、258m(158mの誤植と思われる。)、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、新
同日に同題名のフィルムの検閲記録が上記を含24件ある。
なお、元素材には複数の検閲番号の穿孔跡があり、以下の検閲時報の記録と合致する。
1928年11月11日
礼1677、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第一報、1巻、227m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、複九四
1928年11月10日
礼1384、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第二報、1巻、121m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、複八九
1928年11月13日
礼1917、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第三報、1巻、118m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、複四二
1928年11月26日
礼2276、日、實、時事、輝く昭和聖代 御大禮の盛儀 第五報、1巻、154m、關西活動寫眞業組合(製作者、申請者とも)、複二三
第四報の検閲番号は確認できず。元素材に第四報の内容が含まれているかは不明。 - フィルム映写速度
- 16
- 備考
- 元素材は、1968年にアメリカ議会図書館より返還された35㎜可燃性ポジフィルムを不燃化した35㎜デュープネガ。尺長は593.183mで、検閲番号の穿孔跡から検閲時報で確認できる第一~三報および第五報の合計尺長620mと比較して約27m短い。
参考文献(『昭和大禮警備記録 上』『同 下』)によれば、御大礼謹写団は普通写真部と活動写真部から成り、活動写真部は大日本活動写真協会、全日本映画業組合、国産活動写真協会、関西活動写真業組合など映画諸団体と東京朝日新聞、東京日日新聞、電通などの報道機関に加え、パラマウント・ニュースなどアメリカの映画会社も参加して組織され、鹵簿や御陵などの撮影は加盟団体加入者に限って許可された。フィルムの検閲態勢については内務省でも検討されていたが、大礼の事務を司る大礼使と謹写団双方から要望と陳情もあって京都出張検閲が実施された。出張検閲は大礼に関する映画に限り、天皇が東京を発つ11月6日から東京に戻る27日までの間で京都府庁構内に検閲室が設けられたという。また東京と京都いずれで検閲を受けるかについては、主としてどちらで製作するかにより振り分けられた。京都出張検閲の分は検閲番号の頭に「礼」の字が付けられ、検閲時報で「特輯」としてまとめられている。参考文献(『大禮記錄』)によれば、大礼使において大礼謹写団員として許可を与えられたのは活動写真部で14社298名という。 - 参考文献
- 『大禮記錄』(警視廳總監官房文書課記錄、1929年)294-301頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1224928/1/231
『昭和大禮警備記録 上』(内務省警保局、1929年)197-203頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1275998/1/154
『昭和大禮警備記録 下』(内務省警保局、1929年)390-405頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1276010/1/202
藤波健彰『ニュースカメラマン 激動の昭和を撮る』(中央公論社、1977年。文庫版は1980年)65-67頁[文庫版]
『昭和天皇実録 第五』(東京書籍、2016年)201-241頁