フィルムは記録する

IN MEMORY OF VISIT OF THE U.S.A. PACIFIC COAST HOTEL CARAVAN TO SOUTH MANCHURIA MAY 31 - JUN 1 1928(アメリカ合衆国太平洋岸ホテル旅行団の南満洲訪問記念 1928年5月31日-6月1日)

旧満洲で随一の格式を誇った大連ヤマトホテルを訪れたアメリカ人団体旅行客の姿を記録したフィルムで、中間字幕はすべて英語である。大連駅とみられる鉄道駅での旅行客一行の歓迎の模様、一行の自動車が大連ヤマトホテルに到着する様子、ホテル前の大広場の光景とPort Arthur(旅順)へ遊覧旅行に向かう自動車を捉えた場面で構成されている。終結部では、冒頭にも登場する自動車の後部ドアに掛けられた星条旗のカットが上下逆さで挿入されるなど現状の編集には疑問が残るが、ここでは元素材の編集のままで公開する。エンドタイトルは欠落。

作品詳細

作品番号
ST000230
映画題名
IN MEMORY OF VISIT OF THE U.S.A. PACIFIC COAST HOTEL CARAVAN TO SOUTH MANCHURIA MAY 31 - JUN 1 1928(アメリカ合衆国太平洋岸ホテル旅行団の南満洲訪問記念 1928年5月31日-6月1日)
映画題名ヨミ
アメリカガッシュウコクタイヘイヨウガンホテルリョコウダンのミナミマンシュウホウモンキネンセンキュウヒャクニジュウハチネンゴガツサンジュウイチニチロクガツツイタチ
製作年月日
1928
時間(分)
7
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
フィルム映写速度
16
備考
元素材は、2004年度にロシア・ゴスフィルモフォンドより入手した35㎜不燃性上映用ポジフィルム。
エンド近くの花を手にした少女のカットにディゾルブする「IN MEMORY OF~」の字幕が他の字幕タイトルの書体と異なること、また次の字幕「Arrival of U.S.A. Pacific Coast Hotel Caravan at The Old Dairen S.M.R. Station(アメリカ合衆国太平洋岸ホテル旅行団の南満州鉄道大連駅到着)」が冒頭の到着場面を示していると考えられることから、少女のカット以降は本来冒頭にあった可能性を考慮して「IN MEMORY OF~」を本作の題名とした。
参考文献(『南滿洲鐡道株式會社三十年略史』『図説 大連都市物語』)によれば、ヤマトホテルは南満洲鉄道株式会社(満鉄)によるホテル事業で、大連のほか星ヶ浦、旅順、奉天、長春など満鉄沿線に展開。大連ヤマトホテルは1907年にロシア統治時代に建てられたホテルを使って開業し、1909年に旧満鉄本社を改修して移転、1914年には大広場に面して現在も残る新館が竣工して移転開業したという。
参考文献(大連新聞)には「滿洲觀光の米ホテル業者 けさ陸路來連す 一行男女二十名」の見出しで「日本ホテル業者組合の斡旋により東洋觀光のため目下各地を觀光中だつたアメリカ太平洋岸各州ホテル業者及其妻女(…)一行男女二十名は滿洲觀光のため朝鮮經由三十一日午前七時着列車にて來連午前九時直に旅順に向ひ戦蹟見物をなし歸連正午は星ヶ浦ホテルに於ける滿鐵の午餐招待に臨んだが、夜は旅行會社の主催にてヤマトホテルに官民を招待して歡迎会を催すことになった」「尚ほ一行は六月一出帆のあめりか丸にて再び日本に向ふ筈」と報じられている。記事中「旅行會社」とあるのは、ホテルとその関連事業の経営が1928年に設立された南満洲旅館株式会社に移されていたため(1931年に満鉄直営に戻る)。
参考文献
大連新聞(1928年5月31日発行6月1日付夕刊)2面
松本豊三[編]『南滿洲鐡道株式會社三十年略史』(南滿洲鐡道株式會社、1937年)151-163頁(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/pid/1271690/1/130
西澤泰彦『図説 大連都市物語』(1999年、河出書房新社)10-11頁、56-58頁